しがらみ打破!県政一新!白石としたか|栃木県小山市

白石としたかプロフィール詳細

昭和50年10月12日生まれ
白石としたか 赤ちゃんの時
白石正範<剣道場「練兵館館長」>の長男として、剣道だけの幼少時代を過ごす。近年稀に見る厳格な育ちをしたため、人一倍、負けず嫌いで、プライドが強くなる。
白石としたか 幼少期
昭和63年
小山城東小学校卒業
小山第三中学校入学
(全日本少年剣道錬成大会 団体「練兵館」優勝)
朝練、夕方部活、夜道場と剣道ばかりの生活
中学時代1
当時の剣道部顧問(のち三中校長)の佐藤先生が現在の後援会長
中学時代2
3年時の担任の佐伯先生が現在の後援会女性部長
平成3年
小山第三中学校卒業
栃木南高等学校入学(剣道推薦にて)
朝練、夕方部活、夜道場と剣道ばかりの生活
(全国高校選抜剣道大会 団体 準優勝)
(全国高校総体<インターハイ剣道> 団体 準優勝)
白石としたか 高校時代
3年時、政界における55年体制の崩壊と、その後の政界激動を、テレビで見る中で、政治の在り方に憤慨し、政治を変えたいと志す。
※そのように感じた原点は、幼少期より剣道人として厳しく育ち、日本人として誇り高く育ったため、ぬるま湯で浸かった当時の政治家に、日本を任せておけないと純粋に感じた。
※幼少期より、剣道において、全国制覇を基準、目的としていたため、日本を基準に考えるのが普通だった。
政治に目覚めたため、剣道推薦による大学進学を希望せず、浪人する。
平成6年
栃木南高等学校卒業
剣道ばかりやっていたため、3年時秋の偏差値は30前後で学年でビリの方だったが、政治の世界に入るならば、早稲田か慶応であると考え、回りからは高望みし過ぎだと言われながらも、2年間、猛勉強。
浪人時代は、ノイローゼになりながら、1日平均18時間以上は勉強。
また、帝王学として、過去の偉人の伝記や書物ばかり読む。
※幼少時に剣道でしごかれたおかげで、我慢強さと負けず嫌いが血に染みついており、長時間の勉強にも耐えられた。
平成8年
早稲田大学社会科学部入学
学費以外の仕送りは一切断る。学費も断っていたが、親に先に大学に振り込まれた。
睡眠を極限まで削って、サラリーマン並の生活費を稼ぐ。
※過去の偉人が、若いうちは進んで苦労すべきと言っているため、人一倍苦労すべきと思った。
※また、20歳を過ぎたら、親から自立すべきであると考えていた。
(自転車で日本一周)約三ヶ月間で、沖縄と離島以外全部回る。
※日本を知るには、自転車で回ればいい、と単純に考えた。
多くの大人と接する中で、親の大切さを知る。ほとんど野宿だったため、住居の大切さを知る。山で遭難し、太陽の有り難さを知る。
白石としたか 自転車で日本一周-北- 白石としたか 自転車で日本一周-南-
 
(世界各国貧乏一人旅)
※とある経営者に、海外に行って、視野を広げるように言われたため。
最初に行ったスリランカを皮切りに、アジア、アメリカなど、金が続く限り、一人で放浪する。内乱している国にも行ったため、日本の常識が全く通じない世界があることを肌で感じる。
海外に行く前は、国粋主義的思考をしていた自分が、国際的な感覚を持てるようになる。
(政治活動に邁進)
※政治活動をするのが早稲田入学の目的だったため。
入学後すぐに、政治サークル鵬志会に入る。雄弁会と競り合っていた政治サークルであり、実践を重んじるサークル。このサークルを縁に、数多くの国会議員の手伝いをする。また、新進党→自由党(当時名)の学生部に所属し、学生ながら、国会や党本部を行き来する。
自由党
当時、政界のフィクサーとも言われる政治家の事務所の門を叩き、それが縁で、大学卒業後、実際に政界に入る。
(禅寺に籠もって精神修行)
※過去の偉人の多くが座禅を組んで、精神修業をしていたため、その真似事がきっかけ。剣道と座禅は剣禅一如と言われるように、剣道場で育った自分には、昔から縁があった。
実家の宗派が禅宗である曹洞宗であるため、その総本山である永平寺で参禅するが、一般人は長期滞在できないため、永平寺で厳しい師匠を紹介して欲しいと頼 み、現在の私の師匠(福井県天龍寺住職)を紹介してもらう。それ以来、座禅三昧となり、大学時代のかなりの時間を寺にて過ごす。
断食、長時間の座禅など、自己を律する中で、宇宙観を持つようになる。
平成12年 
早稲田大学社会科学部卒業
代議士事務所に入門
※学生時代に門を叩いたのが縁。
※代議士名は、依存したくないため、市議選前から一切公開せず。
最初の1年間は、自宅に住み込みで、草むしり、掃除といった、書生としての下働きのみ。その後、代議士の運転手兼カバン持ちとして、付き人をする。 休みも自由もない厳しい生活だったが、20代で、政界の実力者の側で日本を眺めることができたのは、大変貴重な経験。
平成15年
代議士事務所退職
※大物政治家であり過ぎたために、ずっと側にいて、一般国民と感覚が遠くなって行く自分自身に不安を感じ、普通の感覚に戻りたかった。また、将来、自分が大物政治家となるならば、もっと海外を知ると同時に、海外人脈を作る必要性を感じていた。
貿易商社を起業(国際交流に従事)
※学生時代からの親友が貿易商社に勤務しており、同業種の起業を目指していた。同時に、自分自身も、海外を知りたかった矢先であり、すぐに、外国人と仕事に繋がる人間関係があったため、一緒に起業した。
アジア諸国を始め、政治的な国際交流と仕事を絡めながら、行き来をする。その中で、海外との仕事を大きく成功させるには、海外に常駐する気概がないと難しいと痛感。二足のわらじはできないため、政治家になりたい自分は、政治一本で行くことを考え、辞職。
政治家になるための活動をするが、目的とする選挙が、まだ数年先であったため、精神修業のために、師匠の禅寺を行き来する。
平成17年
曹洞宗大本山永平寺に修行僧として上山
※政治家になるならば、人間の価値観を越えた大局的な判断をできる人間になるべきと、師匠から指導され、永平寺の修業を強く薦められた。当時29歳であり、人生において、長期の自由時間を取れるのは今しかないと考え、上山を決意。
丸一年間永平寺で修行を積む。一般社会とは比較にならない、同じ日本とは思えないような自由や欲とは程遠い厳しい生活。人間というよりも自然の摂理で動いているような、750年以上続く不思議な世界を体験する中で、人間の本質、食の有り難さなど、多くを学んだ。
永平寺
平成18年
曹洞宗大本山永平寺を乞暇
小山市議選に向けて活動
※秘書時代の経験で、国が地方まで支配し、見下している状況を知っていた。国が真に発展するためには、地方や国民一人一人が自立する必要性を感じていた。
同時に、学生時代から10年も故郷を離れていたため、故郷である小山市のために仕事をしたかった。
政治活動は、書生兼秘書時代に学んだドブ板選挙に徹する。毎日駅立ち、昼間は一軒一軒訪問を続ける。
平成19年
小山市議会議員選挙で当選<無所属>
(小山市議選過去最多得票の4883票でトップ当選)
白石としたか 小山市議選トップ当選
市議会議員時代は、1人会派で今の政治体制、体質そのものの変革を訴え続ける。今後の政治に必要なのは、何を作ったというような、目先の予算配分ではなく、財政、教 育、経済を衰退させている原因である仕組みそのものを変えること、そして、それを担う政治家、職員の意識改革こそが必要。
そうした考えの下、特に、財政、教育、議会の仕組みを変えることを訴え続ける。
平成22年
12月末で市議会議員を辞職
※今後、県政に向けた活動に専念するため、市議会議員としての仕事に専念できない状況で、報酬をもらうのは失礼であるため、辞職を決意。
市議会議員時代の写真
平成23年
栃木県議会議員選挙で初当選(2位)<無所属>
前半は無所属で2人会派(元気クラブ)。仲間が自民入りしたため、後半は1人会派で活動。
県議会は政党=会派であり、無所属の肩身が大変狭い中、ただ一人無所属の一匹狼で将来を見据えた具体的な改革を訴え続ける。意見は言うが敵は作らない適度なバランスを意識。
公営住宅の在り方に異論を述べた時は物議あり。
一般質問
平成27年
栃木県議会議員選挙(2期目)トップ当選<無所属>
白石としたか 栃木県議会議員2期目トップ当選
一人会派で出発。2期目は思いを形にすることを重視しながら、力関係の適度なバランスを意識。
初心忘れぬために、朝の駅立ちは約10年継続。
駅立ち
初心忘れぬため、政党入る前に鍛練として福井県の師匠の寺で修行。
禅寺で修行
平成28年
自民党入党  現在に至る。
現在
剣道場「練兵館」副館長(跡取り) 剣道錬士7段
血液型
A型
性格
バカ正直、頑固一徹、負けず嫌い
座右の銘
知行合一
(知識と行動は一体ということ。本当の「知」は実践を伴うこと)
儒学から派生した、実践を重視する陽明学の教えの言葉。西郷隆盛や吉田松陰が重視していた教え。
尊敬する人
徳川家康、吉田松陰、西郷隆盛、山岡鉄舟
徳川東照公は忍耐の連続で、最後に政治家として勝者となった。自分自身、今後政治家として忍耐の時期であり最後に勝者となるため模範とする。政治家として一番尊敬。
幕末の3名は、人間の善の部分を信じ、日本人の高い精神性を守るために、自分の命を張った。人間として、人を信じ、自分を律した模範的な人達。人間として尊敬する人達。
好きな食物
お米、味噌汁、ラーメン、辛い物

白石としたか後援会事務所 お問い合わせ先

〒323-0807 栃木県小山市城東3-21-4 (Mapで場所を確認する)
TEL: 0285-23-8802 FAX: 0285-23-5145

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